約 1,085,845 件
https://w.atwiki.jp/grasoturismo/pages/3319.html
ホンダ NSX '99 Image Credit 画像を引用した場合、引用元を表記。 メーカー ホンダ 英名 Honda NSX '99 年式 1999 エンジン C32B タイプ ロードカー2ドアスポーツカー カテゴリー N300 PP(初期値) 443 総排気量 3,179cc 最高出力 280ps/7,300rpm 最大トルク 31kgfm/5,300rpm パワーウェイトレシオ 4.82kg/PS 駆動形式 MR 吸気形式 NA 全長 4,430mm 全幅 1,810mm 全高 1,170mm 車両重量 1,350kg 重量バランス 46対54 トランスミッション 5速 登場 グランツーリスモ4グランツーリスモ(PSP)グランツーリスモ5グランツーリスモ6 備考 あれば記入 概要 1999年9月21日にマイナーチェンジを施した際に2000年4月に平成12年基準排出ガス50%低減の「優-低排出ガス」車に認定されたNSXの標準モデル。 この型からABSユニットの見直しが行われ、小型軽量、かつより緻密な制御の可能なものが採用した。 詳しい解説は 1990年モデル を参照。 解説 ゲーム内の解説や公式解説などを記入してください! 登場シリーズ グランツーリスモ4 グランツーリスモ(PSP) グランツーリスモ5 グランツーリスモ6 コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/rikita/pages/298.html
500ccクラスを戦うために、ホンダが開発した2ストロークエンジンのファクトリーマシンがNS500である。最大の特徴は、当時の500ccクラスのマシンは2ストローク4気筒エンジンが主流だったのに対し、変則的な2ストロークV型3気筒エンジンだった点にある。ライバルであるヤマハYZRやスズキRGといった4気筒勢に対してパワーでは劣るものの、3気筒はレギュレーションによって最低重量が4気筒より軽く出来るという点を生かして軽量コンパクトなマシンに仕上げられ、「すぐに勝てるマシン」をコンセプトに開発された。 1982年に世界グランプリにデビューすると同年には早くも3勝を上げ、1983年にはNS500に乗るフレディ・スペンサーがライダース・タイトルを獲得した。ホンダは1966年に500ccクラスのコンストラクターズ・タイトルを獲得していたものの、ホンダのマシンに乗るライダーが最高峰クラスのライダース・タイトルを獲ったのはこの年のスペンサーが初めてである。1984年からはホンダ・ワークスの主力マシンの座をV型4気筒のNSR500に譲ったが、デビューしたばかりの新型NSRの不調もあって1984年シーズンではスペンサーはコースによってNSとNSRを使い分け、この年にもスペンサーとランディ・マモラのライディングで4勝を上げている。 マモラが1985年に挙げた1勝がNS500の世界グランプリでの最後の勝利となったが、その後もマシンやエンジンは有力なチームやプライベーターたちに供給され、度々上位に入る活躍を見せた。また、1983年にはNS500をベースにした市販レーサーのRS500Rが発売されて多くのプライベーターに歓迎された。 開発の経緯 1967年を最後にグランプリから撤退していたホンダは、1979年から500ccクラスに復帰するに当たって当時主流であった2ストロークエンジンのマシンではなく、オーバルピストン4ストロークエンジンのNR500という前例の無い実験的なマシンを送り込んでいた。しかし、あまりにも斬新なNR500の開発は思うように進まず、グランプリで勝利するどころか完走もままならず1ポイントも獲得できないという状況が続いていた。当時はいわゆるHY戦争の真っ最中であり、ヤマハやスズキといったライバルに勝つどころかまともに勝負することすらできないという惨敗ぶりに社の内外から非難が集中した。中でもレースの成績が販売成績に直結するヨーロッパの現地法人や関係者からの突き上げは特に厳しかった。そしてついに、朝霞研究所内のレース専任部隊であるNRブロックのブロックリーダーでありホンダの取締役でもあった入交昭一郎は、新たな「すぐに勝てる」2ストロークマシンを開発することを決定した。新型マシンの開発には社内に新たな開発チームを立ち上げるのではなく、NRブロックの中にNR500開発チームとは別に新型マシン開発チームが編成された。車両開発総責任者(LPL)にはNR500のLPLでもあった福井威夫が任命され、1981年1月に2ストローク500ccGPマシンの開発が正式にスタートしたのである。 そもそもNS500のV型3気筒エンジンの開発は、1980年にNRブロックに合流したモトクロスグループの責任者である宮越信一が入交に提案したことに端を発する。宮越はコースによっては350ccクラスのトップタイムが500ccクラスでも上位に入れるタイムであることに着目した。すなわち、4気筒のマシンにパワーで劣っていても、350cc並みに軽量コンパクトなマシンであれば十分に戦えると考えたのである。レギュレーションによって3気筒エンジンのマシンは4気筒よりも軽く作ることができ、重い4気筒よりも運動性に優れた軽快なマシンにすることができる。エンジン幅が短くなることで前面投影面積をおさえてトップスピードをかせぐこともできると思われた。更に、モトクロスですでに実績のあった2ストローク125ccエンジンをわずかに拡大して三つ並べれば、短い期間で500ccエンジンを作ることができる、というのが宮越のアイディアだった。 もっとも、2ストロークV型3気筒というエンジン形式のレーシングマシンは1950年代にドイツのDKWが350ccのファクトリーマシンを造っている。またパワフルな4気筒に軽快な3気筒で対抗するという戦略は1960年代に当のホンダのマシンに対してMVアグスタが採った手法であり、どちらもホンダの完全なオリジナルのアイディアというわけではない。 いずれにしても、1980年6月のダッチTTで実際のグランプリを視察した宮越は自らの考えに自信を深め、宮越の報告を受けた入交は3気筒マシンの開発にゴーサインを出した。NR500の開発に注力しているエンジニア達に納得してもらい、社内を説得して予算を通すための材料として、プロジェクト立ち上げの目的のひとつには「ヤマハのTZやスズキのRGに対抗する市販レーサーを造る」というものが挙げられていた。ホンダのレース部門ではロードレースのことを「スプリント」と呼称していたことから、新型マシンは「ニュースプリント」を意味するNSと名づけられた。 NS500のエンジンは、それまでの経緯もあって宮越をはじめとするモトクロスチームが中心となって設計された。ますもモトクロッサーのエンジンをベースに166.2ccの単気筒エンジンが試作され、半年後の8月には3気筒エンジンのベンチテストがスタートした。軽量コンパクトにまとめるために1軸クランクのV型3気筒とすることは開発の初期段階から決定しており、ドライバビリティ向上を狙って点火タイミングは120度の等間隔とされた。1軸クランクの外側2気筒を直立に近く、中央の1気筒を前傾させて配置されたV型エンジンのVバンク角は、バンクの間にキャブレターを収めるために必要なスペースとして112度となった。キャブレターはベースになったモトクロッサーに使われていたケーヒン製のものをアレンジしたタイプが使われた。吸気方式はライバルのヤマハYZRやスズキRGがロータリーディスクバルブだったのに対して最初からピストンリードバルブが採用されていたが、これもベースとなったモトクロッサーと同じ仕様としたためである。結果としてこのリードバルブと等間隔の点火タイミングはNSの良好な始動性に大きく寄与し、当時の押しがけスタートのグランプリにあってはNSのライバルに対するアドバンテージのひとつとなった。一方でシリンダーの内壁にも当初はモトクロッサーと同じハードクロムメッキが使われていたが、モトクロスに比べてアクセルの全開時間がはるかに長いロードレースでは明らかに信頼性が不足しており、後に改良されるまではシリンダーの歪みによる焼きつきへの不安に悩まされ続けることになった。 モトクロッサーでの実績を生かす方向で開発されたエンジンに対し、開発期間を短縮するために車体周りにはNR500の開発で養われた技術が活用された。フレームは当初はリスクを避けて実績のあるスチールで製作されたが、スチールフレームの完成後すぐにアルミフレームの設計が開始されており、1982年の実戦デビューから数ヵ月後にはアルミフレームが投入された。足回りではリンク式のモノショックリヤサスペンションとアルミ製スイングアームは専用のものが新たに造られたが、フロントフォークやブレーキシステムはNRからほぼそのまま流用された。前面投影面積の低減と低重心化のために、1981年途中からNR500で採用されていた16インチのフロントホイールを使用することも最初から決まっていた。タイヤはNR500ではダンロップ、ブリヂストン、ミシュランなど様々なメーカーのものが使われていたが、NSとなってからはホンダワークスでは一貫してミシュランを使用している。 車体周りで開発陣が苦労した点のひとつが、排気チャンバーの取り回しである。最も理想的なのは断面形を真円構造とした上でできるだけ直線に近いストレートタイプとすることだが、そうすると下側の2番シリンダーから出るチャンバーの最も太くなる最大膨張部がステップの下のあたりに来てしまい、コーナーリング時のバンク角を確保できなくなってしまう。しかし、バンク角を稼ぐために接地部を削って断面形を三角形にすると今度は必要な断面積を得られなくなって、チャンバー自体がエンジンパワーに負けて破損してしまうことが分かった。そこで、ここでもやはりモトクロッサーが参考にされ、最大膨張部の直前で一旦180度曲げて膨張部をエンジン真下のスペースで前方に向かって伸びる形で収め、その後もう一度180度曲げて細くなった部分を後方に向かって伸ばすという、複雑な取り回しとすることで問題が解決された。このエンジン下で渦を巻くチャンバーは、「トグロチャンバー」などと呼ばれてNS500の外見的な特徴のひとつとなった。 1982年 1981年の1月にプロジェクトが正式にスタートした後、10月にはプロトタイプが完成してテストライダーの飯田浩之によってシェイクダウンされた。この間、NR500の実戦開発も平行して進められており、8月のイギリスGPでフレディ・スペンサーが一時5位を走るという快走を見せたものの、結局この年もグランプリではポイントを獲得することはできなかった。12月にはNS500のプレス発表が行われ、アメリカのラグナ・セカでスペンサーによるテストも行われた。そして翌1982年2月に本番用車両が完成し、3月のシーズンインと同時にNS500も実戦デビューを迎えた。1982年のグランプリでホンダファクトリーと契約してNS500に乗るのは、前年までNR500の開発ライダーを務めた片山敬済、前年スズキのマシンでチャンピオンを獲得したにもかかわらずホンダへの移籍を発表したマルコ・ルッキネリ、そして前年スポット参戦ながらNR500でインパクトのある走りを見せたフレディ・スペンサーの3人である。なお、NR500の開発も継続され、NRにはロン・ハスラムが乗ることになった。 NS500のデビュー戦は、1981年3月14日に開催された全日本ロードレース選手権の開幕戦、鈴鹿2 4だった。このレースで片山敬済が4位、阿部孝夫が7位でフィニッシュし、NR500が完走すらままならなかったことを考えればNS500は十分に戦えるマシンであることを証明した。そして、2週間後の世界グランプリ開幕戦アルゼンチンGPでNS500はグランプリデビューを果たし、スペンサーがいきなり予選2位から決勝では3位表彰台に上るという活躍を見せたのである。 その後、NS500に乗るライダーは3人とも度々上位入賞を果たす速さを見せていたが、その一方で勝てそうで勝てないというレースが続いていた。シーズンが始まってからもNSの改良は続けられており、第6戦オランダGPからはアルミフレームとカーボン製スイングアーム、同じくカーボン製フロントホイールの投入により大幅な軽量化を果たした。そして続く第7戦ベルギーGPまでの間に、シリンダー内面の表面処理にそれまでのハードクロムメッキに代えてドイツのマーレ社の技術であるニカジルメッキが導入された。これによってウィークポイントだった焼きつきの不安が解消され、燃料のガソリン/オイル混合比をそれまでの25 1から30 1にまで薄くすることが可能となった。これらの改良が加えられたNSは、ついにベルギーGPでスペンサーの手によって初勝利を上げる。これはNSとスペンサーにとって初勝利であると同時に、ホンダにとっては1967年のマイク・ヘイルウッド以来となる15年ぶりのグランプリ優勝であった。そしてシーズン後半に入ってからもNS勢は好調さを維持し、第10戦スウェーデンGPでは片山敬済が500ccクラスでの初勝利を上げ、第11戦サンマリノGPではスペンサーが2勝目を上げた。結局この年NS500は3勝を上げ、スペンサーはフル参戦1年目にして2勝を含む5回の表彰台という活躍でスズキのフランコ・ウンチーニ、ヤマハのグレーム・クロスビーに次ぐシーズンランキング3位となった。 1983年 初年度から3勝を上げる活躍で開発コンセプトが間違っていなかったことを実証したNS500だが、1983年のタイトル獲得を目指して冬の間に更なる改良が加えられた。改良にあたってはグランプリフル参戦1年目にしてすでにチームのエース格となっていたスペンサーの意見が多く取り入れられ、1983年型NS500は“フレディ・スペシャル”とも言えるマシンとなった。その最も分かりやすい例がエンジンで、もっとパワーが欲しいというスペンサーの要求に応え、もともとパワーバンドが狭かったエンジンを更に高回転型の特性とすることで130psのピークパワーを絞り出し前年型から10ps以上のパワーアップを実現した。その上で、市販車やモトクロッサーですでに実績のあった排気デバイスATAC(Auto controlled Torque Amplification Chamber)を装着することで低中速域でのトルクを補った。また、とにかくエンジンを回せるだけ回すというスペンサーのライディングスタイルに合わせ、ピークパワーを発揮する11,000rpmから更に2,000rpm回せるようにオーバーレブ特性を改良した。 車体関係に関しては外見は大きな変更は見られず、1982年型の正常進化とも言える細かな改良が加えられた。アルミフレームは形状や構成はほとんど変わらないものの中身は全面的に見直された。コーナリング時のタイヤ接地面積の拡大を狙ってリアホイールは18インチから16インチとなり、フロントフォークのインナーチューブはカーボン素材となって更なる軽量化が図られた。アッパーリンク式だったリアサスペンションはボトムリンク式となり、軽量化と剛性アップが果たされた。リアブレーキディスクもカーボン製となったが、もともとスペンサーはリアブレーキをほとんど使わないことで知られており、この変更もブレーキ性能の向上というよりは軽量化のためだった。 1983年型NS500これらの改良が加えられた1983年型NS500は、前年と同じスペンサー、片山、ルッキネリの3人に加え、前年はNR500の開発を担当していたロン・ハスラムにも与えられて4台体制となった。デビューしたばかりのNS500が最初からトップ争いに加わる活躍を見せたこともあってNRブロックは完全にマシン開発の軸足をNSの方に移しており、ついにNR500の実戦開発は1982年シーズンをもって終了となったのである。同時に1982年から1983年にかけてチーム体制にも大きな変更があった。1973年に別組織となっていたホンダのレース活動をサポートする会社であるRSC(レーシング・サービス・センター)と、ホンダ社内の2輪レーサー開発部門であるNRブロックが統合される形で1982年9月にHRC(株式会社ホンダ・レーシング)が設立(初代社長は入交だった)され、マシン開発とワークス活動の主体はHRCに移されていた。 NRが姿を消した一方で、NS開発当初からの予定通り1983年にはNS500をベースとした市販レーサーRS500Rの販売が開始された。すでに旧式となっていたヤマハTZかスズキRGという選択肢しかなかったプライベーターたちに、最新のワークスマシンとほぼ同じスペックを持つRS500Rの登場は大いに歓迎された。RS500Rは約600万円で販売されたが、関係者によると「売れば売るほど損をする」価格だったという。この年の片山とハスラムのNS500にはRS500Rのフレームがそのまま使用されていたが、スペンサーとルッキネリのNSのフレームとはディメンションがわずかに異なる以外にはほとんど差異はなく、アルミ素材はもとより基本諸元から手曲げによる製造工程まで同じだった。エンジンについては、構造はほぼ同じながらNSがクランクケースなどに高価なマグネシウム素材を使っているところをRSでは一般的なアルミ素材に置き換えるなど、量産車としてのコストダウンがはかられていた。 こうして始まった1983年のグランプリは、NS500のスペンサーとヤマハYZR500に乗るケニー・ロバーツの熾烈な戦いが後々まで語り継がれるシーズンとなった。全12戦で争われた全てのレースをスペンサーとロバーツが6勝ずつで分け合った上、2位になった回数も両者同じ3回ずつという、お互い一歩も譲らない戦いを繰り広げたのである。この年の全レースのポールポジションも6回ずつ二人で分け合っている。この間、NS500に加えられた大きな改良点としては、シーズン半ばからフロント同様にカーボン製となったリアホイールと、当初は上側の1,3番シリンダーのみに装着されていたATACがシーズン終盤に下側の2番シリンダーにも装着された点が挙げられる。信頼性を増したこの年のNS500は深刻なトラブルを起こすことも少なく、超高速コースのザルツブルクリンクでクランクシャフトの破損によってリタイヤしたオーストリアGPが1983年のスペンサー唯一のノーポイントだった。そして最終戦まで続いたスペンサーとロバーツのタイトル争いは、3位入賞が1回あったことが決め手となり、わずか2ポイント差でスペンサーの初タイトル獲得で幕を閉じた。また片山のサポートも功を奏し、NS500はホンダに1966年以来のマニュファクチャラーズ・タイトルももたらした。 1984年以降 ホンダの関係者は、NS500のファクトリーマシンとしての開発作業は1983年で終了したと明言している。デビュー2年目でタイトルを獲るほどの活躍を見せたNS500だったが、パワーアップしてくるライバルの4気筒に対して3気筒の軽快さを武器に立ち向かうには遠からず限界がくることを見越していたホンダは、1983年の春には次期主力となる4気筒マシンの開発をスタートさせていた。そして1984年シーズンはV型4気筒のNSR500をデビューさせてスペンサーに与え、チームメイトのハスラムと片山は”型落ち”となったNS500に乗せた。しかしガソリンタンクと排気管を上下逆に配置するという斬新なレイアウトだったNSR500はトラブル続きの上にセッティングも決まらず、思うように結果を残せないNSRに業を煮やしたチームとスペンサーは第5戦ドイツGPでついにNSを使うことを決めた。久しぶりに3気筒に乗ったスペンサーはポール・トゥ・ウィンというこれ以上ない結果を出し、これ以降スペンサーはコースによってNSRとNSを使い分け、第9戦ベルギーGPではNSによる2勝目を上げた。また、この年のシーズン途中からチームに合流したランディ・マモラが第8戦オランダGPと最終戦サンマリノGPで勝利を上げ、NS500は全12戦の1984年シーズンのグランプリで通算4勝というNSRやYZRと並ぶ勝利数を上げたのである。 1984年の教訓もあり、1985年シーズンのスペンサーのピットにはNSR500と共に常にNS500が準備されていた。しかしタンクをエンジンの上に置くオーソドックスなレイアウトに戻った1985年型NSR500とスペンサーの組み合わせはあらゆるコースで圧倒的な速さを発揮し、予選で数回使用した以外は1985年シーズンのレースでスペンサーがNS500に乗ることはなかった。一方、この年もNSR500は言わばスペンサー専用であり、片山やマモラ、ワイン・ガードナーといったスペンサー以外のホンダサポートライダーのマシンは依然としてNS500だった。前年までは4気筒勢と互角の走りを見せたNSだったが、チームやメカニック個人のレベルでの様々な改良が加えられたとはいえ日進月歩のレーシングマシンにおいて2年前に開発が終了したマシンの戦闘力不足は否めず、スペンサーのNSRはもとよりエディ・ローソンやクリスチャン・サロンのYZRからも遅れを取るレースが続いた。そんな中で雨のレースとなった第7戦オランダGPではスペンサー、ローソン、サロンの転倒リタイヤにも助けられてマモラが勝利、ハスラムとガードナーが2,3位となってNS勢が表彰台を独占した。このマモラの優勝が、NS500がグランプリで記録した最後の勝利だった。 1986年シーズンになるとスペンサーのチームメイトとなったガードナーにもNSR500が与えられ、NS500は有力プライベーターへのサポートとして貸し与えられた。後のサテライトチームのような位置づけである。この年にレイモン・ロッシュとディディエ・デ・ラディゲスが乗ったマシンは、NSRと同じツインスパータイプとなったRS500RのフレームにNS500のエンジンを搭載したものだった。この年は第9戦イギリスGPでラディゲスが獲得した2位表彰台が、NS500の最上位だった。 1987年はNS500がグランプリで上位を走る活躍を見せた最後のシーズンとなった。V4エンジンのワークスマシンが10台以上エントリーし、ワークスマシンでなければポイント獲得すら難しいという状況になっていたこの年、チーム・ガリーナのピエールフランチェスコ・キリはRSのツインスパーフレームに無限がチューンしたNSのエンジンを積んだマシンに乗り、開幕戦の日本GPで4位に入り第8戦フランスGPでは2位表彰台を獲得するなど、度々V4ワークス勢に割って入ったのである。キリはこの活躍によって翌1988年にはワークスNSR500が与えられ、この1987年のフランスGPを最後にNS500に乗るライダーが表彰台に上ることはなくなった。 主要諸元 プロトタイプ 1982年前期型 1982年後期型 1983年型 1984年型 社内コード NS2A--1X NS2A-2X NS2A-AL NS2B NS2C エンジン形式 2ストローク水冷V型3気筒 排気量 498.6CC ボア×ストローク 62.6mm×54.0mm 吸気方式 ピストンリードバルブ シリンダー挟み角 112° 爆発間隔 120°等間隔 点火方式 トランジスタ点火 CDI点火 エンジン重量 37.7kg 38.24kg 38.5kg 最高出力 113ps/11,000rpm 122ps/11,000rpm 130.1ps/11,000rpm クラッチ 乾式多板(6速ミッション) フレーム形式 スチール製ダブルクレードル アルミ製ダブルクレードル トレール 86mm 88.7mm 90.9mm 89.5mm 92.0mm キャスター 24°40′ 24°40′ 24°36′ 25°28′ 25°40′ ホイールベース 1,374mm 1,376mm 1,392mm 1,376mm 1,374mm ホイールサイズ F:16inR:18in F:16inR:18in F:16inR:18in F:16inR:18→16in F:16inR:16in 車両重量 121.7kg 118kg 113.26kg 初走行 1981年8月 1982年2月 1982年6月 1983年3月 1984年3月 WGPでの戦績 1982年 ライダー 1ARG 2AUT 3FRA 4ESP 5ITA 6NED 7BEL 8YUG 9GBR 10SWE 11SMR 12GER 順位 備考 フレディ・スペンサー 3 DNF DNS DNF 2 DNF 1 4 2 DNF 1 DNF 3 片山敬済 6 9 DNS 6 7 8 DNF 5 DNF 1 DNF 4 7 マルコ・ルッキネリ 5 DNF DNS 5 5 DNF 6 8 17 5 6 5 8 1983年 ライダー 1RSA 2FRA 3ITA 4GER 5ESP 6AUT 7YUG 8NED 9BEL 10GBR 11SWE 12SMR 順位 備考 フレディ・スペンサー 1 1 1 4 1 DNF 1 3 2 2 1 2 1 片山敬済 DNF DNS 5 2 3 4 5 2 4 6 3 DNS 5 マルコ・ルッキネリ 9 2 10 3 DNF 7 9 DNF 7 DNF 6 4 7 ロン・ハスラム 3 3 DNF DNF DNF DNF DNF DNS 8 7 9 9 8 1984年 ライダー 1RSA 2ITA 3ESP 4AUT 5GER 6FRA 7YUG 8NED 9BEL 10GBR 11SWE 12SMR 順位 備考 ランディ・マモラ - - 2 3 3 3 2 1 2 1 DNF 1 2 第10戦はNSRで出場 レイモン・ロッシュ 2 3 3 6 5 DNF 3 2 3 DNF 2 2 3 フレディ・スペンサー DNS 1 - 2 1 1 1 DNF 1 - - - 4 第5,9戦以外はNSRで出場 ロン・ハスラム DNF 6 4 4 4 4 5 4 5 3 DNF 3 5 ワイン・ガードナー - 4 - - - - - 5 7 6 3 DNS 7 第2戦はRS500Rで出場 片山敬済 - - - - - DNS - 8 - 8 4 DNF 13 1985年 ライダー 1RSA 2ESP 3GER 4ITA 5AUT 6YUG 7NED 8BEL 9FRA 10GBR 11SWE 12SMR 順位 備考 ワイン・ガードナー 3 4 6 3 15 3 3 4 DNF DNF DNF 2 4 ロン・ハスラム 4 8 3 6 16 4 2 6 5 14 3 5 5 ランディ・マモラ 5 DNF 8 4 4 DNF 1 DNF 3 5 5 3 6 ディディエ・デ・ラディゲス 7 6 5 10 6 7 6 7 DNF 4 6 DNF 8 マイク・ボールドウィン 9 7 DNF 11 7 - - 11 10 DNF 7 8 11 片山敬済 - DNF 11 DNS 14 DNF DNF 8 DNS - - - 17 1986年 ライダー 1ESP 2ITA 3GER 4AUT 5YUG 6NED 7BEL 8FRA 9GBR 10SWE 11SMR 順位 備考 ディディエ・デ・ラディゲス DNF 5 5 DNF DNS 9 7 8 2 6 7 7 レイモン・ロッシュ 6 DNF 7 DNF 7 6 DNF DNF 6 5 5 8 ロン・ハスラム 10 DNF 8 DNF DNF 7 DNF 7 9 9 9 9 NSのエンジンを搭載したエルフ3で出場 1987年 ライダー 1JPN 2ESP 3GER 4ITA 5AUT 6YUG 7NED 8FRA 9GBR 10SWE 11CZE 12SMR 13POR 14POR 15ARG 順位 備考 ピエールフランチェスコ・キリ 4 11 6 7 10 6 9 2 12 DNF 9 DNF 7 9 9 8 (※)上記テキストは、私Rikitaがウィキペディア日本語版に2014年2月13日に投稿したテキストを基にしています。
https://w.atwiki.jp/kikanjuugyouin/pages/312.html
求人募集要項 ★ 募集中 ★ 勤務地 栃木工場 職種 組立/プレス/溶接/鍛造/鋳造/供給/塗装/検査 雇用主 直接雇用 契約期間 3か月 正社員登用 あり 給与 時給1200円 日給の場合は7.5時間勤務9000円もしくは8時間9600円 月収例 31万7000円(実働 8.0h/日 × 21日勤務※諸手当含む)満了慰労金9万円/3ヶ月後皆勤手当8万円/2ヶ月毎赴任手当2万円/1回 食事代補助3万円/初回のみ 手当詳細 赴任・帰任旅費赴任手当2万円満了慰労金(3か月)9万円皆勤手当(2か月)8万円食事補助3万円/初回のみ 製造未経験 可 応募資格 18歳以上フォークリフト(カウンター)玉掛け・クレーン免許所持者歓迎 勤務時間 (1)8 00~17 00/20 00~05 00(2)6 30~15 00/16 00~0 30※2交替制 休日 土日祝※会社カレンダーによる※部署により4勤2休もあり 車通勤※寮以外 自動車・オートバイOK※メーカー問わず 待遇 社会保険完備有給休暇作業着貸与食堂利用(150円~) 選考情報※情報求ム 選考日程 書類審査 筆記試験 実技試験 面接交通費 保証人 必要 健康診断 コア年齢 服装 NG項目 ☆日産自動車の他工場へ ☆日産自動車の寮情報へ ☆日産自動車のQ Aへ ☆日産自動車のリンク集へ コメント 資格関連全て持っていますが、全然関係ないみたいです。その部署の人手が足りていたのかな? (2015-01-21 19 38 06) 日産は最大4年11カ月まで延長可能とのことです。 (2014-10-30 21 43 36) ありがとうございます by管理人 (2013-09-24 19 59 39) 食事補助は初回の3万1回だけでした (2013-09-24 07 35 32)
https://w.atwiki.jp/honda_suzuka/pages/23.html
最終更新日:2013年03月04日 (月) 00時58分55秒 概要 人物特徴 マンボルール マンボ名言集 関連人物 概要 鈴鹿マンボは生涯(障害)ホンダマンである。“生涯鈴鹿永住”希望。自称鈴鹿スレリーダー(スレ立て能力無し)。特技は脳内競馬予想、脳内自慢話、自演。 人物特徴 年齢:58歳。職業:女の子のパンティーに値札を就けるバイト(*1)。元期間工だがずっと鈴鹿スレに粘着している脳内鈴鹿期間工。スレのリーダーをきどるがスレをたてることは出来ない。他人とのつながりがここしかないために粘着し続ける哀れな人間である。平常勤務で現役だと言い張るが社員食堂でのメニューを聞かれても「総務の女、まいうー」としか言えない。 身長170cm、中肉中背、色黒でやや禿、眼鏡でオールバックアゴヒゲ。金城武似。体臭がきつく、耳、腋、口、足、どれも臭い。最終学歴は大卒(*2) 2006年頃入社(*3)。2009年3月29日のG1高松宮記念の日に期間満了退職(*4)。 初めてコテハンを名乗ったスレは【鈴鹿専用】本田技研の期間工 part38【ハラマセヨー】である。コテ名の由来は05年の天皇賞馬で約200万馬券の演出をしたスズカマンボから。 趣味は競馬、パチンコ、女。なかでも競馬ネタが好きで買った馬券を書き込むが、まず当たらない。また金額等計算すると損失が半端ない。 特技はナンパ。OL、学生、エロ人妻が対象。JCより2歳牝馬が好き(*5)。部屋の壁には中島美嘉の写真が一面貼ってある。 好きなホンダ車はステップワゴン、フリード、エリシオン等(*6)。好きな曲はWhiteberryの『打ち上げ花火』。好きな競争馬はナムラクレセントとスズカマンボ(*7) 仕事ネタ、失業保険ネタ、共産党ネタ、競艇ネタ、スカトロネタ、ホモネタが大嫌い。 マンボルール 718 名前:鈴鹿マンボ ◆weCh1WxQBCNt [] 投稿日:2009/07/06(月) 21 16 25 お~~ゥい! 暇な、おまいらに吉報だあ ここの住人は競馬好きが多いみたいだから、レスのルール改正するw 新改正レスネタ 月曜 期間ネタ、競馬ネタ 火曜 本田ネタ、競馬ネタ 水曜 女ネタ、競馬ネタ 木曜 パチネタ、競馬ネタ 金曜 午前 期間時代の反省 午後 競馬ネタ 土日曜 競馬ネタのみ 住人の皆様へ このように、ルール改正になりましたので、よろしくお願いします。 ルール違反は、問答無用で出入り禁止とする。 わかったか?返事は? マンボ名言集 若い奴やからこそ期間工するべきだよ。人生で1回ぐらいは。仕事がないオッサンが来るところ?それは間違ってるぞ。若かろうがオッサンだろうが、ええ仕事がなければ期間工するべきや(*8)。 会社に迷惑かけるなら去れオマエに一言 本田を信じるものは再募集がやってくる!おまいら根性いれて待てェわかったか? (*9) 897 :鈴鹿マンボ ◆QUUVNTcPy. :2009/03/27(金) 21 45 53 本日をもちまして、私、 鈴鹿マンボは 本田技研工業 鈴鹿製作所 期間従業員を期間満了に付き無事退職しました事を皆様方にお伝えします。尚、「鈴鹿マンボ満了式典」に参加して頂いた。福井社長及び本田関係者の皆様、この場をお借りして厚きお礼申し上げます。m(._.)m 776 :鈴鹿マンボ ◆QUUVNTcPy. :2009/04/01(水) 21 55 49 明日も1勤だなぁ! 寝る。 関連人物 マゼラン(未作成) - 師匠。 チビ太(未作成) - 鈴鹿マンボの脳内弟子。競馬予想ではマンボより的中率が高い。 金色の闇(未作成) - マンボから直々に次期鈴鹿スレリーダーに指名される。
https://w.atwiki.jp/dq_dictionary_2han/pages/6434.html
スラもり1 街のほこらを開くのに必要な呪文である。全文は、 「ホンダラホンダラ マーレ ト ボルカノ バーンズグラン ト リーサグラン ガボガボキーファ マリベルアイラ メルビンメルビン ヒラケ~ ホコラ!」 …どう見てもⅦ登場人物オールスターです。本当にありがとうございました。
https://w.atwiki.jp/grasoturismo/pages/126.html
ホンダ S800 '66 Image Credit Emula / Gran Turismo Archive メーカー ホンダ 英名 Honda S800 '66 エンジン AS800E タイプ ノーマルカーオープンスポーツカー カテゴリー N100 PP(初期値) 272.69 総排気量 791cc 最高出力 69PS/8,000rpm 最大トルク 6.6kgfm/6,000rpm パワーウエイトレシオ 10.31kg/PS 駆動形式 FR 吸気形式 NA 全長 3,335mm 全幅 1,400mm 全高 1,215mm 車両重量 720kg 重量バランス XX対XX トランスミッション 5速 最高速度 172Km/h (フルノーマル時) 登場 グランツーリスモ4グランツーリスモ(PSP)グランツーリスモ5グランツーリスモ6グランツーリスモSPORTグランツーリスモ7 備考 1万回転まで優に回るエンジンが特徴のホンダのFRスポーツ 概要 ホンダ S600のマイナーチェンジ版として、1966年に登場したオープンスポーツカー。愛称は「エスハチ」。Sシリーズは同年代のスポーツカーであるヨタハチのライバルと評され、レースにおいて数々の名シーンを生み出した。 ホンダ Sシリーズの特徴とも言えるリアのチェーンドライブ機構は、このS800では僅か3ヶ月で廃止される事となった。 サスペンションも通常の車軸懸架方式へと変更された他、ディスクブレーキとラジアルタイヤの装備も行なわれた。 ボディタイプは従来通り、オープンとシューティングブレーク風クーペの2種類が用意され、収録モデルのS800は前者にあたる。外見も従来と比較して変更点が多く、ボンネットのパワーバルジ増設、フロントグリルやテールランプの形状変更等と多岐に渡る。 エンジンはS600のAS285E型をベースに、更に排気量を拡大。最高出力は70PS/8,000rpmと、20PS以上もの向上を果たした。 Sシリーズは3種合計で約2.5万台が生産されたが、1970年の生産終了後にホンダは、純然なスポーツカーの開発を一時期中断する。しかしSシリーズのスポーツドライビングへの情熱は後に S2000 を誕生させ、新たな伝説を作り出したのであった。 現在はSシリーズの最新車種である軽スポーツカー、 S660 が発売され、2代目コペン等とライバル関係にある。 解説 イギリスのマン島TTレースや世界GPなど二輪車で世界を制したホンダは、1963年に念願の4輪車に進出する。発表されたのは超小型の2シーターオープンスポーツカー、S500。戦後クルマ界きっての風雲児、本田宗一郎はゼロからスポーツカーを作り上げ、世間の度肝を抜いた。 S500で出発したホンダ・スポーツは、よりパワーを求めて排気量を拡大し、半年を待たずにS600へと発展。さらにオープンモデルだけでなく特異なファストバッククーペも追加し、レースでも大活躍した。当時はもちろん現在に至るまで、量産仕様のまま平気で10,000rpmまで吹ける4輪エンジンなど例がなく、そのソプラノサウンドを聴いただけで「エスが来た」とすぐわかった。 2年後、さらにエンジンを拡大したS800が加わり、それを改良したS800Mが登場するに及んで、ホンダ・スポーツは完成の域に達した。サスペンションも本格的な4輪式になり、コーナーを思い切り攻められる力が身に付いた。 S800をはじめとするホンダ・スポーツは、低いシートで無理なく両腕を伸ばし、わずか10cmと短いシフトレバーを操る、まさにスポーツカーの王道のようなドライビングフィールを持ち、世界中で人気を博した。 アンディによる評価 ホンダのスポーツカーの原点が"Sシリーズ"と呼ばれるこのモデルオープン2シーターの後輪駆動で直4DOHCエンジンを積むSシリーズの排気量は試作車の360ccに始まり500cc、600ccと進化このS800はシリーズの集大成排気量791ccのエンジンから70PSを発揮するS2000の直接的なご先祖様だね 登場シリーズ グランツーリスモ4 旧車専門店で購入可能。 入荷するのは非常に稀なため、欲しければこまめにラインナップを確認する必要がある。 グランツーリスモ(PSP) Cr.5,800,000で購入可能。 グランツーリスモ5 中古車の場合 価格はCr.XXX,XXX,XXX×(100-(走行Km÷2000)÷100)(Cr.100未満は四捨五入、走行距離は100,000Km以降はカウントしない。例 280,000kmの場合は80,000kmとして扱う) グランツーリスモ6 グランツーリスモSPORT ホンダのブランドセントラルでCr.5,800,000で購入可能。 グランツーリスモ7 中古車ディーラーにてCr.4,730.000で入手可能。安くなった。だが少し性能を考えると値段がちょい張り気味。でもまあ、古いクルマだから仕方ないか。ライバルのトヨタ スポーツ 800 65よりも安く性能が良いので、これをチューンして旧車イベントのアルザス1時間とかに挑むなんてのもアリ?軽い車体を生かして、あとはチューン次第と戦略、そして腕さえあれば不可能…では無い? コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/honda_suzuka/pages/25.html
最終更新日:2013年03月10日 (日) 19時28分49秒 (2012年1月12日書き起こし) 目次 期間従業員 雇用契約書 1.雇用・勤務の目的 2.契約期間 3.契約更改の有無 4.職場・職種 5.休日 6.所定就業時間 7.時間外・休日勤務 8.賃金 9.賃金の支払 10.満了一時金 11.服務 12.試用期間 13.解雇 14.退職 15.その他 期間従業員 雇用契約書 入社日 平成 年 月 日 職番: 所属: MO/BL 本田技研工業株式会社鈴鹿製作所を甲とし、 を乙として、次の通り雇用契約を締結する。 1.雇用・勤務の目的 本契約は、甲の生産計画の変更等に対応することを目的とする臨時的、一般的な雇用契約であることを確認する。 2.契約期間 本契約の契約期間は、平成 年 月 日 より 平成 年 月 日までとする。 3.契約更改の有無 甲は、生産計画等を踏まえて、本契約を更新する場合がある。更新する場合は、甲は本契約満了の30日前までに乙に通知する。特に次の事項に該当する場合は、甲は本契約を更新しない。 業務能力が著しく劣り、または勤務態度が著しく不良なとき 健康状態に支障をきたし、業務に耐えられないと甲が認めるとき 減産により、余剰人員が発生したとき。又は今後余剰人員が発生することが見込まれるとき 事業の縮小や生産ラインの移管により、業務が減少又はなくなったとき 正規従業員の配属により、余剰人員が発生したとき、または今後余剰人員が発生することが見込まれるとき その他、甲の定める期間従業員就業規則に定める解雇事由に該当するとき 但し、甲が本契約を更新することができる期間は、甲と乙が初めて雇用契約を締結した日から2年間を限度とする。契約満了となった場合は乙は退職する。 4.職場・職種 乙が従事する業務は、鈴鹿製作所内において、甲が指定する生産ラインで、直接製造に関わる業務とする。 5.休日 休日は、甲が別に定めた日とする。ただし、甲は、甲の生産計画、その他の事情により休日を変更する場合がある。 6.所定就業時間 1労働日の就業時間は、8時間を基本とし、各勤務の始業、終業及び休憩の時間は以下の通りとする。 平常勤務A 8 10~17 00(休憩 12 10~13 00) 平常勤務B 7 10~16 00(休憩 10 45~11 30) 交代制勤務 1勤 6 30~15 15(休憩10 45~11 30) 交代制勤務 2勤 15 05~23 30(休憩 19 00~19 45) 交代制勤務 3勤 23 20~6 40(休憩 2 30~3 15) 7.時間外・休日勤務 前項5・6に拘らず甲は、業務上必要があるときは、乙に対し、時間外及び休日の勤務を命ずることがある。 8.賃金 賃金の額は次の通りとし、その細目は期間従業員就業規則の定めによるものとする。 日給(8時間勤務あたり) 10,400円 時間外勤務手当(1時間あたり) 1,726円 深夜業手当(1時間あたり) 346円 交代制勤務手当(1勤務あたり) 1勤 813円、2勤 1,203円、3勤 1,479円 9.賃金の支払 賃金は、毎月末日締め切りで計算し、甲は、これを翌月25日に一括して乙に支払う。但し、25日が甲の休日または国民の祝日にあたる場合は、その前日に支払う。 10.満了一時金 甲は、本契約期間を満了した者に対して、満了時に満了一時金を支給することがある。 11.服務 乙は、次の事項を遵守する。 所定就業時間を守り、業務に誠実に従事し、許可無く自己の職場を離れないこと 甲の承認なく、甲に在籍のまま他に就職したり社外の業務に従事しないこと 在職中はもとより、退職後といえども、知り得た技術上、その他の秘密を漏らし、または他に便宜を図るなど甲の不利益となる行為を行わいないこと その他甲の定める期間従業員就業規則を遵守すること 12.試用期間 初回契約開始日より2週間は試用期間とし、甲は、試用期間中に、乙が期間従業員として不適当と認めたときには、乙を解雇することができる。 13.解雇 甲は、乙が次の各号の一に該当するときは、乙を解雇することができる。 業務遂行能力が著しく劣り、または業務に怠慢で向上の見込みがないと認められるとき 身体の故障により業務の遂行に耐えられないと認められた時 自己都合による欠勤が2週間以上に及び、業務に停滞を及ぼすとき 事業の縮小、廃止その他、甲の経営上のやむを得ない事由のあるとき 天災、事変、その他やむを得ない事由により事業の継続が不可能になったとき 懲戒条項に該当したとき 使用期間中に本採用を取り消されたとき その他各号に準ずるやむを得ない事由があるとき 14.退職 乙が次の各号の一に該当したときは、退職とする。 死亡したとき 退職を願い出て甲に受理承認されたとき 本契約期間が終了し、更新されなかったとき 乙は、退職を希望する場合は、原則として退職を希望する14日前までに甲に退職願いを提出し甲の承諾を得なければならない 15.その他 この契約書に定めのない事項は、期間従業員就業規則によるものとする。 平成 年 月 日 甲 三重県鈴鹿市平田町1907番地 本田技研工業株式会社 鈴鹿製作所 執行役員所長 八郷隆弘 乙 住所 TEL 氏名 印 昭和・平成 年 月 日生( 才)
https://w.atwiki.jp/grasoturismo/pages/2350.html
ホンダ S500 '63 Image Credit fsopolonez / kudosprime メーカー ホンダ 英名 Honda S500 '63 年式 1963 エンジン AS280E タイプ ロードカーオープンカー カテゴリー Gr.X PP(初期値) XXX 総排気量 531cc 最高出力 44ps/8,000rpm 最大トルク 4,6kgfm/4,500rpm 駆動形式 FF 吸気形式 NA 全長 3,300mm 全幅 1,430mm 全高 1,200mm 車両重量 675kg 重量バランス XX対XX トランスミッション 4速 登場 グランツーリスモ4グランツーリスモ(PSP)グランツーリスモ5グランツーリスモ6 備考 僅か5ヶ月しか製造されなかったSシリーズの元祖 概要 ホンダ S500は1963年10月から1964年3月までに製造および販売されたオープンタイプのモデル。本車はHonda初の四輪車で軽トラックのT360と共に登場したオープンスポーツカーで、身近な働くクルマとスポーツカーで四輪生産を開始し、まさにホンダらしい四輪時代の幕開けと言えた。 T360に続く国産車では2台目のDOHCエンジン搭載車で、バイク用のCVキャブレターを採用したAS280E型エンジンは44PSの最高出力を8000rpmで発生させる超高回転型。バイク用をベースに開発しただけあって軽快な走りを支えるエンジンとして、改良を加えながら後継のS600、S800にも採用された。 解説 ホンダS500は、typeRより長く続くスポーツモデル『Sシリーズ』の元祖であり、ホンダが初めて世に送り出した乗用車である。注目すべきポイントは駆動方法で、二輪車から始まったホンダらしく、本来ファイナルギヤ(デフ)が入る場所にローラーチェーンを採用。ざっくり言うとバイクと同じチェーン駆動を採用した点である。そして、そのチェーンの外を覆うアルミ製のチェーンケースがトレーリング・アームを兼ねた独立懸架式サスペンションを構築した。このアイデアは本田宗一郎が提案したアイデアであったが、従来のリジット・アクスルと比べ、後輪中心間を結ぶ位置にデフや車軸が無く、その空いたスペースにガソリンタンクを前進させて搭載でき、安全性とより大きなトランクスペースをもたらすことに成功した。この方式は後継機であるS600、S800の初期モデルまで搭載されたが、メンテナンスや耐久性の問題があり、S800のモデル途中から従来のリジット・アクスル式に改められた。この為、S500~S800初期のチェーン駆動モデルは、発進する為にギヤを繋いだ時に、後ろがチェーンが引っ張られる事によりヒョコッと一瞬持ち上がる事が特徴で、マニアの間では以後のリジットモデルよりも人気が高かったりする。 S500の総生産台数は正確な資料が無いため不明なものの、おおよそ500台前後だとされている。また、海外輸出はパワー不足の為に見送られたが、カタログ撮影のために左ハンドルモデルが2台制作されアメリカに送られたという。 登場シリーズ グランツーリスモ4 国内B級ライセンスのオールゴールドで入手可能。 また、旧車専門店でも販売している日がある。 グランツーリスモ(PSP) グランツーリスモ5 グランツーリスモ6 コメント 加筆しました。 -- (名無しさん) 2023-12-30 13 22 08 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/viecles/pages/139.html
MDXをお気に入りに追加 くちこみリンク #blogsearch キャッシュ 使い方 サイト名 URL 掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る 楽天市場 カーナビ レーダー探知機 ETC(自動料金収受システム) カーオーディオ カー用品・パーツ タイヤ&ホイール 報道 アキュラ MDXにSUV初のタイプSを追加 V型6ターボ搭載のパワフルSUV - SlashGear Japan NSX に続く「タイプS」、アキュラ が MDX 新型に設定…12月米国発売へ(レスポンス) | 自動車情報サイト【新車・中古車】 - carview! - carview! NSX に続く「タイプS」、アキュラ が MDX 新型に設定…12月米国発売へ(レスポンス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 高級スポーティSUV新型「RDX」発売! アキュラで最もダイナミックなデザイン採用! 11月に米国で発売(くるまのニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 新型アキュラ・インテグラの最新情報をチェック【一目惚れ】(FORZA STYLE) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本でも乗りたい! 新しいアキュラRDX登場! - GQ JAPAN アキュラ MDX 新型に「タイプS」、新写真を公開…2021年後半米国発売へ - レスポンス アキュラが15年ぶりに過去最高の販売台数を達成! 北米ホンダの5月セールスは記録づくめ - MotorFan[モーターファン] 東京大学が調達し、9大学2研究機関が共同運営する「データ活用社会創成プラットフォーム基盤システムmdx」にDDNの大規模ストレージシステムが採用 - アットプレス(プレスリリース) 限定車でもないのに「40台」しか売れず? 鳴かず飛ばずのトホホな「平成不人気車」7選 - Automesse Web アキュラ「タイプS」ヒストリー映像公開… インテグラや初代NSXの姿も[動画] - レスポンス アキュラ米国販売は2年ぶりに増加、SUVが42%増 2021年第1四半期 - レスポンス アキュラ 米国向けSUVの新型MDXに引き継がれた伝統と歴史を紐解く動画コンテンツ公開 | 中古車なら【グーネット】 - Goo-net(グーネット) データ活用社会創成プラットフォームmdxを導入 9大学2研究機関が共同運営しデータ活用の産学官連携・社会実装・研究を推進 - 東京工業大学 北米ホンダの2月販売はSUVが牽引! 顔が変わったリッジラインとアキュラの新型MDXが絶好調スタート! - MotorFan[モーターファン] 走りを楽しめるホンダの高級SUV アキュラ『MDX』試乗レポート - SlashGear Japan ホンダ MDXの挑戦と失敗 さすがに日本ではデカすぎた?? 【偉大な生産終了車】 - ベストカーWeb アキュラの最上級SUV『MDX』新型、生産開始…2月に米国発売 - レスポンス 4代目最上位SUV 新型アキュラMDX、生産開始! - SlashGear Japan MDsveX - Svelteの中のMarkdownの中のSvelte - InfoQ Japan アキュラSUV初の「タイプS」、MDX 新型に設定…2021年夏米国発売へ - レスポンス アキュラ『MDX』新型を発表…最上位SUVが4世代目に - レスポンス アキュラ、高級SUVの新型「MDX プロトタイプ」公開 2021年初旬に発売 - Car Watch アキュラ、新型SUV「MDX プロトタイプ」のティザー動画を公開 - Car Watch 【懐かしの国産車 42】ホンダ MDXは走りも車両価格もプレミアムなSUVだった - Webモーターマガジン - motormagazine.co.jp 2022年までのロードマップが流出! ホンダ・アキュラ「MDX」などに高性能「タイプS」設定へ - clicccar.com(クリッカー) Node、React、HTML、MDX、Vue、Svelte、PythonファイルからWebアプリを生成するZero Serverフレームワーク - InfoQ Japan アメリカ ホンダ アキュラ MDX 外装 鈑金 塗装 修理 事故 相模原市 中央区 - Goo-net(グーネット) アキュラの主力SUV、MDX にスポーティ仕様「Aスペック」設定…ニューヨークモーターショー2018 - レスポンス アキュラのSUV最強の321hp、MDX ハイブリッド に2018年型 - 価格.com 「試作」で活躍する3次元切削加工機、「MODELA MDX-50」を実際に使ってみた - TechFactory 3次元切削加工機「MDX-40A」の上位モデル登場! ワークエリアが1.6倍に - TechFactory ホンダが最新のアキュラ「MDX」、「シビック ハッチバック」プロトタイプを披露 - クリッカー ホンダ、アキュラMDXの最新バージョンを出展【ニューヨークショー2016】 【ニュース】 - webCG 第三者配信システム「Sizmek MDX」を提供するサイズミック・テクノロジーズ株式会社に「Sizmek MDX」の役割とその重要性について聞いてきました - マイナビニュース アキュラ の最上級SUV、 MDX に2016年型…9速AT新採用 - レスポンス アキュラ MDX 新型、米国価格公表…FF初設定で大幅プライスダウン - レスポンス 【ニューヨークモーターショー13】アキュラ MDX 新型、市販版がデビューへ - レスポンス ホンダ、米国で ラグレイ トや MDX など81万台をリコール - レスポンス 【ニューヨークモーターショー12】アキュラの北米専用SUV、MDX …映画に登場するSHIELD仕様 - レスポンス 多次元データベースクエリー言語「MDX」入門 ~クライアントアプリケーションの作成方法(7) - CodeZine 多次元データベースクエリー言語「MDX」入門 ~計算するメンバー(4) - CodeZine 成分解析 MDXの72%は鍛錬で出来ています。MDXの21%は月の光で出来ています。MDXの5%はスライムで出来ています。MDXの1%は赤い何かで出来ています。MDXの1%はアルコールで出来ています。 ウィキペディア MDX ページ先頭へ ホンダ/MDX このページについて このページはMDXのインターネット上の情報を集めたリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新されるMDXに関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
https://w.atwiki.jp/grasoturismo/pages/1374.html
ホンダ トゥデイ G '85 メーカー ホンダ 英名 Honda Today G '85 年式 1985 エンジン EH型直列2気筒SOHC タイプ ノーマルカー軽自動車 カテゴリー Gr.X PP(初期値) XXX 総排気量 545cc 最高出力 31ps/5,500rpm 最大トルク 4,4kgfm/4,000rpm パワーウエイトレシオ XX.XXkg/PS 駆動形式 FF 吸気形式 NA 全長 3,195mm 全幅 1,395mm 全高 1,315mm 車両重量 550kg560kg 重量バランス XX対XX トランスミッション 4速 登場 グランツーリスモ4グランツーリスモ5グランツーリスモ6 備考 漫画「逮捕しちゃうぞ」でお馴染み。 シティ にも通じる80年代ホンダのヤングなデザイン。 概要 ホンダトゥデイは1988年に発売された乗用モデルのトゥデイより3年前から販売されていた商用車モデルで、1985年から1995年までの10年間生産されていた。型式は「JW1」。型式で言えばJW5型S660の先祖にあたる。 特徴的な丸形ヘッドランプはエンジンフードとフロントバンパーにまで食い込み、リアコンビネーションランプはリアバンパー内に設置、またフロントワイパーはシングル式とユニークな仕様で、全体にスラント ショートノーズデザインのスタイルが印象的な車である。すごい安っぽい作りに見えるが、うまくセンス良くまとめてあげたという感じで、いかにも80年代的らしい、今となってはどこかレトロでアナログ、だけどデジタルもちょいと感じるデザインと言えよう。 長いホイールベースと幅広なボディのせいで最小回転半径は大きかったものの、当時の軽自動車を凌駕する操縦安定性を確保していた。いわゆる『M・M思想』(Man-Maximum・Mecha-Minimum)に基づき開発されたものであり、そうしたホンダのエンジニアリングの良さも感じさせる。 GT6収録モデルである「G」は、サイドストライプ、トリコット/ファブリックシート、電子チューナー式デジタル表示AMラジオ、デジタル時計などを装備した最上位グレードで、当時の若いヤング達の層を狙った仕様。80年代に絶頂を迎えていたホンダらしい名車の一台と言えよう。 解説 ゲーム内の解説や公式解説などを記入してください! 登場シリーズ グランツーリスモ4 グランツーリスモ5 グランツーリスモ6 コメント こういうのがGT7にも欲しいんだよ。軽だからなんて関係ない。 -- (名無しさん) 2023-10-13 17 34 35 ↑おまそう -- (名無しさん) 2023-10-13 20 35 38 ↑でもGT7スポーツカーばっかやん? -- (名無しさん) 2023-10-13 20 49 04 話は変わるけどねぇ……、何というかいかにも昭和、1980年代っぽい車だと思う。何処かアナログとデジタルが共存しているような。今若者に人気のシティポップと同じ過ぎ去りし青春の香り漂う感じ……。今の車には無いその時代の匂いを感じる名車だと思う。 -- (名無しさん) 2023-10-13 21 56 45 これの走行動画ホンダの公式YouTubeで見れるよ。なんか良いよね -- (名無しさん) 2023-10-13 22 13 13 スーパーカー派には申し訳ないがこういうのを収録してほしい -- (名無しさん) 2023-10-14 15 54 11 ↑4 海外市場を見てみ?海外の車ゲーがある以上普通車ばかりだとスポーツカースーパーカーで人気博してる海外の車ゲーに人気盗られるぜ?日本だけのグランツーリスモはもう過去の話。 -- (名無しさん) 2023-10-18 16 53 19 普通車で満足してしまうが日本人特有というか…大半の日本人は自国の車の性能が高くて世界の車と比べると見劣りするので外国車に対して無関心なのよね。若者の車離れも起きたし外車好きの日本人エンスージアストが少数派なのも頷ける… -- (名無しさん) 2023-10-18 17 00 36 デス死刑ん どこ⁇ヤヴァイ火 -- (カレンダー松井痛々しいチャージャー轢くリスモ) 2023-11-24 11 51 35 名前 コメント すべてのコメントを見る